大名町のシナノキの記事

大名町の一店主

2012年10月27日 11:05

松本・大名町のシナノキ」は かおり風景100選 に選ばれました

こちらの文章は
「中日新聞松本ホームサービス」2000年11月9日号に掲載された
「松本の樹たち・樹木戸籍」を転載致しました。
かなりの長文ですが興味のある方は是非お読みください。


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佇めばエトランゼ

街の中心を東西に流れる女鳥羽川の橋、かつての大手橋-現千歳ばしから北、
お城までの通りが「大名町」である。
大名町は、松本駅に降りたちこの街を訪れる旅人が、先ずめぐり会う旅情の地である。
突き当たりに古城を見る家はざまの道路には、伸び育ったシナノキとナナカマドが、
ビルの並ぶつめたい風景をよわらげ、山間の町のイメージを見事に演出している。
ここに「シナノキ」が植えられてから、二十五年程が経つ。(注、1973年植樹)
本来は山野に自生する落葉樹ながら、よく街中の悪環境にめげずに育ち、
見上げれば梢は空の雲に手をさしのべ、アルプスの風を招いてゆれる樹陰が路上を彩る。
-松本は冬が長いから、足もとに陽の差す落葉樹、それも松本らしい樹を-
との山崎林治氏(植物学)のご指導があり、この樹を植えた町の人たちの先見性が、
今を支えている。
のびやかな冬の樹形美にはじまり、春から夏への新緑と甘い芳香の花の季節、
ヒワやレンジャクまで呼ぶ秋の木の実。四季を通じて道往く人をたのしませる。

江戸時代までこの通りは、一般町民の立ち入り禁止の場所だった。
上級武士の大名屋敷八軒ほどが、広い敷地を占めていた。
明治維新で開放されたが、一八八八年(明二一)の「極楽寺大火」で、
町の南部大半千五百戸を焼き、その後に一般市民の家々が立ちならぶようになったものである。

大名町のシナノキは、厳密にはオオバボダイジュだといわれる。
シナノキ・オオバボダイジュ・ボダイジュの同属三種は、一般に混同して呼ばれるが、
ボダイジュは中国原産である。「シナノキ」の語源は、アイヌ語の「シナ」からといわれ、
”結ぶ””くくる”の意味がある。これは古くから樹皮を繊維として、
実用的に利用したためであろう。数年前にも県の森の物産展で、シナノキ製品を見たし、
木曽奈良井宿の資料館では、繊維を布に織っていた。東北では樹皮を「マダカワ」と呼び、
けら(みの)に使用したことが賢治の詩や童話に出ている。
建築や板などの材として使用する人たちの間では、シナノキを「アカシナ」、
オオバボダイジュを「アオシナ」といって区別しているそうである。

-泉に沿いて茂るボダイジュ・・・と歌うシューベルトの歌曲「冬の旅」は有名であるが
、原詩の「リンデンバウム」も同属別種ながら、日本ではボダイジュと訳されて、
今も広く愛唱されている。
信濃国のシナも、「科(しな)の木」から名づけたといわれ、
古来科の木が多く自生していたことを物語っている。

-中略-

街路樹では、長野市中央通りのプラタナスが最古(一九二二)とのことだが、
松本では江戸時代すでに、萩町(善光寺街道)の通り両側に萩を植え、目隠しにした。
これは明治四十四年に出された、松本大古地図にも書き込まれている。

けれども、人々が街の景観や環境保全のために、緑化、殊に市内の緑化を大切に
考えるようになったのは戦後、それもつい近年のことである。

金髪の並木ほとばす街の月 ひさ


<シナノキ>科の木・級の木
・別名-アカシナ、マダ、マンダ
・別種-オオバボダイジュ、ボダイジュ
◇語源-アイヌ語の<結ぶ><くくる>から
・シナノキ、オオバボダイジュ、ボダイジュは
混同して呼ばれるがボダイジュのみ中国原産で、
インドボダイジュ(菩提樹)はクワ科である。
◇特徴-シナノキ科、落葉高木、日本原産
・古来から日本各地の山野に自生、
中部以北はオオバボダイジュが多い
・甘い芳香の花の花序には柄にヘラ状の色が
一個つくため、同種に<ヘラノキ>というのもある
◇現在、用途は主に街路樹、合板
樹皮は布、船のロープ、紙などに使われる